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先日ぼんやり動画をいろいろ見ていたところ、打ち切りマンガというテーマの動画がありまして、私の知ってるマンガあるかなー? と思って見てみたのですが、全部知りませんでした
まぁそれはそれで見てておもしろかったものの、興味がわいて調べてみました
さて、ここからが本題だ。 その動画で打ち切られたマンガ家さんについて調べたら、まずwikiが見つかってそれを見る。 その上でぐーぐるさんが検出した項目をいくつか見てたのですが、「(そのマンガ家さん)死ね」という某掲示板のスレッドが出てくるわけだ
少しだけ見ましたが、その内容は正直どうでもいいんです。 ネットで何が理解できないってなんで嫌いなものを追いかけるのか、です
まず今回の件で言えば、打ち切られたマンガ家さんであり、現在は商業で活動はされてない方です。 つまりもう通常見ることができないところにいる作家に死ねと言うほど嫌いになれることがわからない。 だってその方が生きてようが死んでようが、あんたはもう見ることないんだから問題ないじゃない、と思うわけです。 だいたいがだね、仮につまらないマンガだった、にしても見なきゃいいだけじゃないですか。 全く理解できない
で、これは今回の件なわけです。 しかしこの手の出来事はネット上では次から次に見ることができる
私の記憶で言うなら、くんすの頃のトラさんとかもこれと同様だろう。 いなくなってからもあいつはトラさんだとか、まだ別キャラでいるとか、陰でガラを操ってるだのとか、よくもまぁいない人のことをずっと言うなあと感心していました
また先ほどの件で、そんなものはなかったのですが、仮に「(そのマンガ家さん)先生が大好き」ってスレッドがあったとしても、絶対に、必ず、100%、この死ねと言ってた方は来るのでしょうね。 少なくともそういう掲示板をいくつも見てきた覚えがあります
嫌いは愛情の裏返し、というのはこういうことなのでしょうね。 好きの対語は嫌いだと思っていましたが違うかもしれません。 嫌いはきっと同義語なのでしょう、対義語は無関心かもしれません
なぜならその作家を知らなく、作品も読んだことのない私はどうでもいいや、と思ったからです
きっと今後も読むこともなく、その先生についてのトピックにも再び触れることはないのではないでしょうか
けれど、嫌いな人は好きな人と同じくらいに、ともすれば好きな人以上に追いかけます。 その情熱が凄いですよね。 私はそこまで追いかける対象を持ったことがないです
今回死ね、というまるで共感のできないところから始めた話ですが、これは結局のところ口にした人間の教養レベルが低いことの証明です。 私は「なんだ子供か・・・」と思ったのですが、今書いてる最中に大人でもこういうこと言っちゃう人はいると気づいたので、表現を変えてみました
つまり年齢だけあがって、頭が育ってない人の場合もある、ということですね
わかってたつもりですが、あらためて「何かを嫌いな人の圧倒的な情熱」というものを見て、ああ・・・本当理解できないな・・・と思った次第
私が冷めてるんですかねー?
以前、このブログで数回に渡ってぼろくそに貶したゲームがあります。 今でも嫌いですしライターを軽蔑していますが、死ねとは思わないけどなー・・・。 そして私はこれ以降この会社のゲームはしていないし、仮に他のところでゲーム作ってても知らないです
だけどふつー嫌いな人って、その嫌いになったきっかけ以降もチェックしてるんですよね。 私にはあれが理解できない。 なんで? 嫌いなんじゃないの?
これをどこかのチャットで言ったことがあるんです。 そうしたら「また出会いたくないからチェックしてる」って言うわけですよ。 いや、それ好きなんじゃないの?
だって嫌いだからどうしてようがどうでもいいじゃない、って思う私が変なんですかね?
わからないなー・・・本当わからないや・・・
はい、そんな感じで
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