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あれだ。 書くことないんだ、特に何も
でもあんま更新しないとどうしたんだろう、とか言われちゃうからねっ! なんか書くYO!
ここ最近何度か言ってる気がしますが、まーうん なんかやることないんだ。 というかあるけど気が乗らない
これわかってもらえるかわからんけど、私はゲーム好きで時間あればゲームしてるのですが、実際のとこただの現実逃避です。 冷静に考えれば、まあ社会的にいろいろ抑圧というかなんなりあるわけでして、人間関係やらなんやらから始まり、自分の今を振り返ったりとまあ暗く落ち込むことなんざ山ほどあるわけですよ、ええ
そんな時は同じゲームでもADVの類をやることが多い。 まあADVと言ってもギャルゲや乙女ゲーも含まれるわけですが。 いあほとんどギャルゲか乙女ゲーな気がします。 なんでこの手のになるかというと考えなくていいから、かなー?
私の基本スタンスは考えるのが楽しい、なのですけれど、やはり頭が疲れ気味の時はさすがにそうもいかない。 ギャルゲや乙女ゲーってのはスタートからゴールまでがほぼわかってるもので、あらかた展開ってのは読めるわけですよ。 なのでただぼんやり眺めているだけで済む。 最近だとこの手のはほとんど全てキャスト付き、つまり音声があるので画面見てなくてもよかったりもする。 こゆこと言うと友達やこれを見てる人はそうまでしてゲームしなくても・・・って思うかもなんだけど(実際何回か言われた)、他の媒体(映画・ドラマ・漫画・本等々)ではダメな理由がある
ではそれは何か
1.ゲームはちゃんとしてなくても成立する
話の整合性、辻褄、ここらが曖昧でもゲームは結構成り立つ。 ぶっちゃけたいがいはこんなものだ。 フィクションという言葉を隠れ蓑に人ではない人たちの織り成すドラマがゲームだと思う。 他の媒体であれば、こんな男の子(女の子)はまず出てこないって子たちで溢れてる。 それがゲーム世界です
2.ゲームは他の媒体に比べ時間が自由である
いわば尺の問題ですね。 映画・ドラマは30~120分という尺がはっきりしてます。 本や漫画にしてもあらかた時間の幅はありますよね。 でもゲームってのはこれらに比べて時間がかかる。 1キャラクリアが数時間でも何キャラかいるわけで。 恋愛系ゲームだと特別シナリオも深く考えるものは少なく選択肢も少ない。 セーブ・ロード、スキップ・バックログで自由に時間が調節できる
3.ゲームはよりどりみどり
乙女ゲーならいろんな男の子、ギャルゲならいろんな女の子。 それぞれの恋物語が楽しめるわけですな。 1の条件は漫画などでクリアできることもあるのですが、当然主人公とその相手役、そしてライバル役等が主軸になって話が進むわけでして。 途中で脇役のキャラに興味を持ってもそれはあくまで脇役なわけです。 が、ゲームであればいろんなキャラクターとの物語を楽しめたりするわけでして、なんか得した気分になりませんか? いやなろうYO!
もう後半なんか適当だな。 有体に言うと最近疲れ気味で思考がゆるいので、この手のをぼんやりやってるだけになっております。 こういう時に頭使って話すとぐったりするんでご容赦。 気楽に、適当に? 私話す時にどんなにふざけててもすごい頭使ってるので、無理っと言っておきましょう
で、今は人に勧められたギャルゲしてたのですがー・・・。 10年来の親友とか言うたって同じ人を好きになりそれを知ったら友人関係なんて無理です。 ライターはわかってなさすぎる・・・。 うまく行った方は「でも私たちは友達だよね」ってなりがちですが、うまくいかなかった方は100%もう会いたくもありません
男性はこゆことに対し女の友情は~とか言いがちですが、そもそも同じ人を好きになったらその時点で「友達」から「恋敵」になってるわけでして。 男性思考なら「友達」であり「恋敵」なのかもしれませんが、女性思考で言うなら「友達だった」けど今は「恋敵」だと思うのですね
まあわからんかもしれん。 わかろうと思うな。 考えるだけ無駄な時間だ
とりあえず言えるのはギャルゲやってたら1000年経っても女の子はわからんということだけはわかる
さてこゆこと言っちゃうとじゃあ乙女ゲーなら男がわかるのか、となるのですがー・・・それの答えは乙女ゲーやってね☆ あはははは
はい、そんな感じで! まあてきとーに生きてます
でもあんま更新しないとどうしたんだろう、とか言われちゃうからねっ! なんか書くYO!
ここ最近何度か言ってる気がしますが、まーうん なんかやることないんだ。 というかあるけど気が乗らない
これわかってもらえるかわからんけど、私はゲーム好きで時間あればゲームしてるのですが、実際のとこただの現実逃避です。 冷静に考えれば、まあ社会的にいろいろ抑圧というかなんなりあるわけでして、人間関係やらなんやらから始まり、自分の今を振り返ったりとまあ暗く落ち込むことなんざ山ほどあるわけですよ、ええ
そんな時は同じゲームでもADVの類をやることが多い。 まあADVと言ってもギャルゲや乙女ゲーも含まれるわけですが。 いあほとんどギャルゲか乙女ゲーな気がします。 なんでこの手のになるかというと考えなくていいから、かなー?
私の基本スタンスは考えるのが楽しい、なのですけれど、やはり頭が疲れ気味の時はさすがにそうもいかない。 ギャルゲや乙女ゲーってのはスタートからゴールまでがほぼわかってるもので、あらかた展開ってのは読めるわけですよ。 なのでただぼんやり眺めているだけで済む。 最近だとこの手のはほとんど全てキャスト付き、つまり音声があるので画面見てなくてもよかったりもする。 こゆこと言うと友達やこれを見てる人はそうまでしてゲームしなくても・・・って思うかもなんだけど(実際何回か言われた)、他の媒体(映画・ドラマ・漫画・本等々)ではダメな理由がある
ではそれは何か
1.ゲームはちゃんとしてなくても成立する
話の整合性、辻褄、ここらが曖昧でもゲームは結構成り立つ。 ぶっちゃけたいがいはこんなものだ。 フィクションという言葉を隠れ蓑に人ではない人たちの織り成すドラマがゲームだと思う。 他の媒体であれば、こんな男の子(女の子)はまず出てこないって子たちで溢れてる。 それがゲーム世界です
2.ゲームは他の媒体に比べ時間が自由である
いわば尺の問題ですね。 映画・ドラマは30~120分という尺がはっきりしてます。 本や漫画にしてもあらかた時間の幅はありますよね。 でもゲームってのはこれらに比べて時間がかかる。 1キャラクリアが数時間でも何キャラかいるわけで。 恋愛系ゲームだと特別シナリオも深く考えるものは少なく選択肢も少ない。 セーブ・ロード、スキップ・バックログで自由に時間が調節できる
3.ゲームはよりどりみどり
乙女ゲーならいろんな男の子、ギャルゲならいろんな女の子。 それぞれの恋物語が楽しめるわけですな。 1の条件は漫画などでクリアできることもあるのですが、当然主人公とその相手役、そしてライバル役等が主軸になって話が進むわけでして。 途中で脇役のキャラに興味を持ってもそれはあくまで脇役なわけです。 が、ゲームであればいろんなキャラクターとの物語を楽しめたりするわけでして、なんか得した気分になりませんか? いやなろうYO!
もう後半なんか適当だな。 有体に言うと最近疲れ気味で思考がゆるいので、この手のをぼんやりやってるだけになっております。 こういう時に頭使って話すとぐったりするんでご容赦。 気楽に、適当に? 私話す時にどんなにふざけててもすごい頭使ってるので、無理っと言っておきましょう
で、今は人に勧められたギャルゲしてたのですがー・・・。 10年来の親友とか言うたって同じ人を好きになりそれを知ったら友人関係なんて無理です。 ライターはわかってなさすぎる・・・。 うまく行った方は「でも私たちは友達だよね」ってなりがちですが、うまくいかなかった方は100%もう会いたくもありません
男性はこゆことに対し女の友情は~とか言いがちですが、そもそも同じ人を好きになったらその時点で「友達」から「恋敵」になってるわけでして。 男性思考なら「友達」であり「恋敵」なのかもしれませんが、女性思考で言うなら「友達だった」けど今は「恋敵」だと思うのですね
まあわからんかもしれん。 わかろうと思うな。 考えるだけ無駄な時間だ
とりあえず言えるのはギャルゲやってたら1000年経っても女の子はわからんということだけはわかる
さてこゆこと言っちゃうとじゃあ乙女ゲーなら男がわかるのか、となるのですがー・・・それの答えは乙女ゲーやってね☆ あはははは
はい、そんな感じで! まあてきとーに生きてます
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